ギャッベについて知っている人はいても、それを織っている人々についてはほとんどの方が知らないのではないでしょうか?
トルコ系遊牧民 カシュガイ族
もともとカシュガイ族とは、イラン高原の南西部に位置するザクロス山脈で遊牧生活を送っている遊牧民の人々です。
中央アジアのトルコ系遊牧民が南下してザクロス山脈に辿り着いたのがその起源といわれていて、それを裏付けるかのように彼女たちはトルコ結びでギャッベを織っています。
そんなカシュガイ族ですが、「族」とはいっても実際は特定の一部族を指すのではありません。
5つの部族(アマレ族、カシュクリ族、シシブルキ族、ダルシェリ族、フェルシマダン族)のことをまとめてカシュガイ族と呼びます。
彼らは春と秋の2回、ベースキャンプとなる黒いテントを畳んで羊やロバと一緒に山と平地の間を大移動します。
遊牧のための移動と聞くと、のどかでほのぼのした印象を受けますがカシュガイ族の大移動は全く違います。
朝日と共にの荒野を砂塵を巻き上げながら数百頭の羊やヤギが移動していく様は圧巻。男性陣もここでは普段以上に大変な奮闘っぷりを見せるそうです。
一方、女性たちはテントの中で糸を紡ぎギャッベを織るのです。彼女たちは絵を描くように目にした風景や夢、願い事をそのままギャッベに織り込んでいきます。
これら部族にはそれぞれ全て個性があり、それがギャッベにも色濃く反映されています。
カシュクリ族は一目一目が細かく、柄が細かい部分まで鮮明です。シシブルキ族は明るく人の良い部族でライオンの絵柄が多いですし、繊細な生命の樹に関してはアマレ族の右に出るものはいません。
カシュガイ族の精神性 アイデンティティ
カシュガイ族を語る上で欠かせないものがあります。それが彼らは”カシュガイ族”というアイデンティティに大きな誇りを持っているという点です。
家族を大事にする、人に優しく親切にする、他人と争わない、約束を守る・・・など。
カシュガイ族の間で300年に渡り受け継がれてきた精神性は極めて高く、日本人も含め現地を訪れた外国人の多くは感銘を受けるほど。
これら精神性が育まれた背景には、大自然の厳しい生活環境の中では相互扶助無しには生きていけなかったという事情が挙げられます。
また、定住生活ではない遊牧民の彼らは土地や金銀財宝とは無縁だったため、それも高潔な精神性を保てた一因といわれています。
カシュガイ族のいま
カシュガイ族は最盛期の90年代には約75万人もいたといわれています。
しかし現代では政府による定住化政策の推進やカシュガイ族自身が利便性を求めて街へ定住するようになり、その数も今や25~40万人程度といわれています。
そのため2010年にはギャッベの手織り文化を絶やさぬよう、ユネスコがその技術を無形文化遺産に指定しました。
ペルシャ系最古の民族 ルリ族
次にご紹介するのは人口6万人弱のルリ族です。
ルリ族は半年に一度大移動をするカシュガイ族とは異なり、10月~4月は低地の牧草地にある住居で暮らす半遊牧民です。
そのため技術の継承がされやすく、数あるギャッベの中でもルリ族が織ったギャッベ、通称「ルリバフ」は最高級の品質を誇ります。
カシュガイ族のギャッベは絵柄がバランスよく配置され調和のとれたデザインが多いのに対して、ルリバフは左右非対称であったり大胆な色の切り替えなど自由奔放なものが多い印象です。
また、ルリバフは非常に緻密な織りと伝統的なデザインもその大きな魅力で、ペルシャ絨毯のような気品も感じさせます。
そして何より、彼らは18世紀頃にやってきたカシュガイ族とは異なり、紀元前からザクロス山脈で先祖代々生きてきました。
そのためペルシャ絨毯の大元のルーツはルリ族にあるのでは?とも言われています。
ペルシャ絨毯が持つ品の良さと、ギャッベならではの素朴な美しさ。この二つを兼ね備えたルリバフは今も根強いファンが絶えません。
そんなルリ族ですが、こちらもカシュガイ族と同じく近年はその数が年々減少しており、織り手の減少問題と直面しているのが現状です。
ギャッベは悲しみを忘れるために織り、喜びを忘れぬために織る
遊牧民の人々にとって、ギャッベとは『悲しみを忘れるために織り、喜びを忘れぬために織る』ものと言われています。
とても素敵だと思いませんか?
現代の日本に暮らす私たちからすれば絨毯織りなんてただの趣味や仕事でしかありません。
でも、遊牧民の女性にとってギャッベを織ることは単なる仕事の範疇を超えた、人生におけるライフワークでもありました。
悲しいことがあっても手を動かしていれば気持ちは紛れますし、嬉しいことがあっても何も記録しないのではいつか忘れ去ってしまいます。
そういう意味で、ギャッベを見るときはギャッベだけでなくその背景にまで想いを馳せて想像を巡らせると、ギャッベがまた一層味わい深く感じられるようになるかもしれませんね。