ここではゾランヴァリ浜松の名前の由来ともなっているイランの絨毯会社、ゾランヴァリ社について説明します。
ギャッベのことは知っていても、ゾランヴァリという言葉は聞いたことがないという人は是非この機会にゾランヴァリ社についても知って頂けると幸いです。
イランの絨毯会社、ゾランヴァリ社
ゾランヴァリ社とは、イランにある絨毯専門店です。
この「ゾランヴァリ」とは現在のギャッベブームを築いたゾランヴァリ社の代表、ゴラムレザ・ゾランヴァリ(1933年生まれ)氏の名前からきています。
彼はそれまで見向きもされなかったギャッベの商品としての価値を高め、世界中にそのファンを広めました。
ゾランヴァリ氏とギャッベ
1956年、ゴラムレザ・ゾランヴァリは23歳の若さで絨毯商の父から独立しました。独立したばかりの彼には資金力がなく、買える絨毯といえば当時誰も見向きもしなかったギャッベくらいなものでした。
ただ、彼はギャッベの魅力を信じており、ある日カシュガイの遊牧民から156枚のギャッベを購入しするという博打に出ました。イランで絨毯と言えばペルシャ絨毯だった時代にこの行動は常識外れなものでした。
当時のギャッベといえばまだ二級品どころか三級品のような扱い。当然、来る日も来る日も売れない日が続きます。ギャッベの仕入れは現金で行っていたので、資金は底を尽いてしまいました。
中々売れないある日、ゾランヴァリの元をあるスイスの絨毯商が訪れました。その絨毯商は目を輝かせながらギャッベ1枚1枚を丹念に見ていました。そして、156枚全てのギャッベを買い上げました。
ゾランヴァリの読みが当たった瞬間でした。
その後、この絨毯商はさらに大きな注文をゾランヴァリにしました。
この時を境に、ギャッベはヨーロッパを中心に広がり始め、ギャッベと共にゾランヴァリの名も世界中に知られるようになりました。
それから数十年、ゾランヴァリ氏の功績は称えられドイツで行われたDOMOTEXという絨毯展示会で「ギャッベの父」として表彰されるまでになりました。
日本でも広がり始めたギャッベ
ちなみに、日本におけるギャッベは1980年代、神戸に本拠地を構える『絨毯ギャラリー』の大熊克己氏によって紹介されたのがその始まりです。
それから40年余り、今では国内におけるギャッベの認知度は相当高まり、TV番組『マツコの知らない世界』などでも紹介され、ギャッベも一部の絨毯マニアだけのものではなくなりました。
私、高部三司も30年前に初めてギャッベと出会った時はその名前すら知りませんでした。しかし、それからイランに直接行き、遊牧民とギャッベをこの目で見て、ゾランヴァリ氏と会い、話をすることでギャッベの世界にどっぷり魅かれて、現在まで至ります。
ゾランヴァリ社のギャッベ
ゾランヴァリ社が監修しているギャッベの最大の特徴は何といっても品質の高さにあります。
元々ギャッベ(gabbeh)はペルシャ語で粗い(rough)という言葉を意味するほど、昔は今よりも作りが荒く、私たち日本人が室内で使うのには難がある品質でした。
ギャッベの持つ魅力、ポテンシャルに誰よりも早く気づいていたゾランヴァリ氏はこれを改め、現地の遊牧民の方々に協力をお願いして品質向上に尽力しました。
- 細かな縦糸加工
- 徹底した水洗い
- ギャッベの焼き上げ処理
これらの仕上げ処理は今でこそ広く行われるようになりましたが、最初にこれをやり始めたのはゾランヴァリ社でした。
こうしたゾランヴァリ社の徹底した品質管理によって織られたギャッベは、それまでギャッベを軽んじていた人のギャッベに対する見方すらも変えました。
世界でも数少ないエコテックス認証を受けている絨毯
エコテックスとは、化学的な有害物質による人体への被害を無くすことを目的に作られた繊維製品の安全証明の認証システムです。
これは素材から最終検品までのあらゆる原材料・製造過程が安全基準を満たしているかチェックされる大変厳しい審査です。
エコテックス認証は様々な繊維製品にあり、ギャッベも審査対象製品の一つです。
しかし「有害物質を含まず、肌でふれても安全」と証明されているギャッベは、数あるギャッベの中でほとんどありません。